イノベーション現場の触媒

入社して初めて理解した触媒の本質

 入社後,私に与えられ仕事はプロセス開発でした.新しいプロセスは,プロセス条件を一新するもの,反応原料や生成物を一新するものなど広範囲ですが,新プロセスといえるものの多くは,触媒の出来不出来に依存していることに気づきました.回りを見れば,メーカーはもちろん,エンジニアリング会社,ユーザーまで,多くの人が新触媒の開発を競っていることを知りました.

 化学原料を供給する会社,医薬品・化学製品を作る会社はもちろん,石油・ガスのようなエネルギー供給会社,鉄・セメント・紙パルプなどの資源を加工する会社まで,触媒を使う反応は多く用いられています.また,発電は電力へのエネルギー転換に際して,自動車はガソリンや軽油を燃焼する過程で,大きな環境負荷を与えます.両産業は,環境触媒の支えがあるからこそ,この狭い国土で高密度の発展をすることができたといえます.

 新製品の開発をしている人,新プロセスの研究をしている人がさまざまな分野で,日夜奮闘しているのを目の当たりにした私は,触媒の種類や化学反応が違えども,これらの人の多くが触媒の研究をしているということにおどろきました.そして,触媒というものが,こんなにも重要な働きをしており,産業界にとって「鍵」や「扇の要」といわれるのに,案外,高校教育も大学教育も触媒に割く時間が少ないなーと恨んだりしたものです.

 その後,会社に入って10年ほどたったとき,触媒のことをWiseman's Stone (賢者の石)とも言うと聞きました.確かに,その役割は,西洋中世の錬金術師が,卑金属を金に変化させる夢を探し求めた話に似ています.近年,日本の国際的地位がキャッチアップ型からフロントランナーに変わってきました.それに伴って,日本は科学技術立国・知的財産立国を国是として,21世紀を生きようとしています.そのとき,多くの人がWiseman's Stoneに注目するのは,触媒というものが,独創的であり,知的財産的であり,省資源的な科学技術として期待を集めるからです.

 会社に入って20年ほど経ったころ,私は石油残渣油のアップグレーディング(Upgrading)に取り組んでいました.反応分子がアスファルテンなど巨大なサイズになると,分子の細孔内拡散が重要になります.いきおい,触媒設計者にとっては,細孔構造の制御が触媒性能を支配する重要因子になります.先述の触媒細孔モデルで,細孔直径Dが10〜20 nmにもなる触媒です.

 細孔径の大きな触媒を作るには,それを作る基本粒子を大きくしなければなりません.通常のこの種の触媒はアルミナ(Al2O3)担体にモリブデン(Mo)を浸漬させてつくります.自分の作った触媒の孔の中を,この目で見たかのように語れたら,どんなにか迫力のある議論ができるだろう・・と考えていたとき,このセラミックの触媒担体をダイヤモンド・カッターで厚さ50 nmの超薄片にできると言う話を聞きました.一方で,年々進歩していた透過型の電子顕微鏡技術と組み合わせて,自分の調製した触媒の細孔構造を直接見ることができました.細孔径50 nmのトンネル径は2万倍になると,100万nm = 106×10-9 m = 10-3 m = 1 mmです.

[電子顕微鏡写真(図3)へ]

 図3は私が40歳になって見たアルミナ担体の電子顕微鏡像のイメージです.固体触媒の細孔構造として,私が学生時代に想像したトンネル構造(図2)と比べると,両者は似て非なるものです.私がアルミナ(担体物質)と思っていたトンネルの壁部分(図2のハンチング部分)は実は細孔(図3の白い部分)であり,細孔(トンネル空間)と思っていた部分(図2の白い部分)が実はアルミナ担体物質(図3のハンチング部分)でした.ちょうど,白黒逆転のフィルムを見るように,私の想像していたものと正反対でした.実は,よく考えると,基本微粒子(図3の1個の黒い部分)が集まって粉を形成し,その粉が成型されて担体となるわけですから,図3が当然であり,自分の陥った誤りが腹立たしく思われます.しかし,図3を見たときは,目から鱗が落ちる思いがするとともに,図2を脳裏に抱かせる伏線となった図1を恨めしく思ったものです.ともかく,触媒の細孔というのはトンネルではなく,柱と柱の隙間であることが分かった.同時に,こんなにも小さい世界に反応分子が自由に動き回るイメージが理解できるようになりました.この空間に浮いたような柱の太さを大きくすれば,細孔も大きくなるし,柱の太さ・長さをできるだけ揃えることが,均質な細孔を作ることになることも,容易に想像できるようになりました.


(C) Catalysis Society of Japan 2007
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