石油類の流動接触分解触媒

 人類が地中から石油を汲み上げて,積極的に使うようになった歴史は,案 外短いものです.1859年,アメリカのペンシルバニア州で,掘削技師ドレークが人類ではじめて,石油を採る目的の井戸を掘り,20 bbl/d (バレル/日,20 bbl = 3.2 m3)の生産に成功しました.19世紀の石油は,主として灯油を得るためのもので,揮発性の高いガソリン留分や重質留分は厄介な廃棄物でした.しかし,エジソンの電灯が灯油にとって代わると,今度は,ダイムラー・ベンツによる内燃機関が発展してきました.自動車エンジン普及に伴って,石油の利用はガソリンの利用に重点を移していきました.

 20世紀に入って,自動車が急激に普及し始めると,ついにガソリン不足 を生じる事態となりました.ここに,石油の重い留分を分解して,より軽いガソリンを増収するプロセスが次々と開発されました.1935年ごろまでのプロセスは熱分解反応が中心で,本稿の触媒は「いまだ夜明け前」の感でした.しかし,この間に,"石油と触媒の初めての出会い"がありました.それは「触媒が分解反応速度を高める」という発見でしたが,これを,初めて商業的規模で成功させたのは,1936年のフードリー・プロセス(Foudry Process)ですから,今から僅か70年前のことです.触媒はシリカ(SiO2)・アルミナ(Al2O3)でした.

 石油の分解反応は触媒上へのコーク析出との戦いで,このプロセスでは,固定床反応器を並べて,反応と再生を繰り返しました.フードリー・プロセスは触媒を利用することによって,反応速度を上げたばかりでなく,熱分解とは異なった反応機構のおかげで,価値ある新ガソリン(オクタン価の高い接触分解ガソリン)を生み出しました.その後,戦争による航空ガソリン需要の増大に向けて,触媒の利用方法を抜本的に変更した流動接触分解(FCC, Fluid Catalytic Cracking)プロセスが誕生しました.これは,今日も石油分解法の中心的存在として,触媒・プロセスの両面から改良・発展しているものです.

 流動接触分解触媒は名前の通り,流動状態で使用されますが,今日の反応器は触媒の流動というより,反応原料の流れに乗せた輸送状態であるといった方が正確です.触媒は,60ミクロン(60 マイクロメートル)ほどの球形に造粒してあり,反応物質と分離された後,再生塔で触媒上に析出したコーク質を燃焼除去されます.このように流動接触分解触媒は反応器と再生塔の間を激しく循環し,再生塔では高温の水蒸気に晒されることから,大きな機械的強度と耐水熱性が要求されます.

 フードリーによって初めて見出されたころの触媒は天然の活性白土でしたが,まもなく,より高活性の合成シリカ・アルミナに変わり,1960年代以降は合成Y型ゼオライトが用いられています.

 20世紀は「石油の世紀」といわれたほど,自動車・飛行機・ストーブ油・石油化学原料に多量の石油が用いられました.これらは白油と俗称される石油軽質留分です.石油は連産品ですので,これらの需要が伸びれば,それに伴って重質留分も生産されます.ここに,減圧軽油(VGO)などの重質留分を軽質化する分解装置としての流動接触分解装置の重要性があります.しかも,このプロセスは,分解反応が触媒上へのコーク析出を伴う吸熱反応であることを逆手に取って,反応熱供給に析出コークの燃焼を活用するという自己完結型長所を有していました.

 近年,白油需要の高まりとともに,軽質化の方法としての接触分解プロセスへの期待が高まる一方です.しかし,原料油が残油(Residual Oil)まで重くなると,原料油中に含まれるニッケル(Ni)やバナジウム(V)などの金属までも触媒上に,多量に堆積するようになりました.残油接触分解(RFCC)触媒では,このような耐メタル性など,増える一方の要求事項を満たすための触媒改良が続けられています.


(C) Catalysis Society of Japan 2007
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